
今日は産廃業者に幾つか質問した。放射性物質は運搬されないこと、長野市も監査に来ているということ、長野市に自分たちが依頼しようと候補に上げていた企業があるがそこと同じ取扱品目であること。疑問点としては昔の話であっても、そこに処理場があったことは地域住民は認識していて、個人的には何故「今」なのかと感じている。それまで残土は放置されていたわけで「そこ」は何も感じなかったのか。どうなのか。
結論からすればよくある産廃業者がやってくる、それだけのこと。幾つか散見する金属回収業者に対しては何も言わない、これも解せん。
反対派にそこから道を上がって来るなと言われたそうだが、別の市の解体業者が拠点の奥の民家を解体をしていた際に山を降りて大きな道に出た後までえらく煽られたし、地域住民も若い世代はなかなかのスピードで走っていたりもする。それについてはどうなのか問いたい。長期戦になると寄附金を住人から募るならば領収証を発行しましょう、確定申告で使うのだし意思確認もしましょうとも思ってはいる。
水質検査費が項目に入っていたが、煙草を投げ入れている人はいますが注意しないのですか、よく見て下さい川にごみも流れていますが何もしないのですか。そういうこともしないでクラウドファンディングで100万も集めて何がしたいのか。こういう場面を目にする度に思う、正義は善悪ではなく「立ち位置」と「都合」であるということをさ。
自分は100来いの議論が好きではない。もはや議論でも話し合いでもない。ただ見る限り100来いと数年はやっている。互いの50まで行きましょう、でもこういう事情があり30までしか行けません、じゃあその20はしんどいのでせめて10来て下さい、こちらもあと10行きます。これが自分の思う話し合い。