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本家とか分家とか

本家とか分家とか

限界集落で経験したのは本家と分家の問題。
そんなこと知ったことかと言いたいところだが、まあまあこれが実にややこしい。
一回目は本家で知りもしない分家の人がいきなり訪ねて来て根掘り葉掘り聞かれ、分家が本家を嫌っていたのでその愚痴まで聞かされるという、ついには電話まで掛かってきて面倒で仕方なかった。二回目は本家や分家はまだ大人しめだったが三世代に渡る近隣の因縁試合。わざわざ子に自分の恨み辛みを語り継いでいるのである。そして住人となった自分にまで相手は敵対心が半端なものではなく、持ち主は相手への敵対心を植えつけようと延々と話してくる。そして勘弁してくれと思いつ三回目の移住で今回は分家。もう令和じゃないかとほとほと呆れつつアップデートできずに生きてしまったのか分家に対する愚痴を延々と聞かされていたので「それ、本人に言えばいいじゃないですか」と言い放ってからは何も言ってこなくなった。ルーツには興味はあるが本家分家ヒエラルキーに巻き込まないでいただきたいところ。

長く住んでいるかどうかで決まる部分もあるが、人が何処かに住むのに「自分の方が長く住んでいるからえらい」という感覚があること自体が滑稽で、その感覚を他人への親切で知識として伝えるならば話は分かるが地域の同世代が何かの会話の途中で「自分の方が長く住んでる」と発言していてがっかりとしてしまった。郷にいれば剛に従え、いや、おかしいものはおかしいと言っていい。
中学の部活で後輩が先輩の茶を自分の分と合わせて持ってくる馬鹿みたいな仕組みがあったので自分が先輩になった時に「もうこういうのをやめよう、自分の分は自分で持ってくれば良い」と提案したら同級生の一部から「習わしじゃないか」と猛反対されたのだけれど「自分たちどうだった、教科書に部活の用意、そこに水筒数本」と返したら何かしらいやな記憶が戻ってきたのだろう。そのまま反対派は黙ってしまい可決された。変えて良くなるならさっさと変えてしまった方がいい、自分は今もそう思っている。ああいう感覚を自分より上の世代は割とぶら下げていたりするし染まりやすいタイプはすぐ染まる。一言で表現すると、無駄でしかない。

空き家バンクでもそう、盆だけ居間を使うとかよくあるのは仏壇が置きっぱなしで時々線香を上げにくるとか、市街でその感覚で暮らしているのかどうなのか、と苦笑いしつつ考えていた時期があった。空き家の対策といえど行政の感覚までおかしい。これは移住してみないと分からない部分ではあるので何とも言えないが、もう昭和でもない。令和ですよ。

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