
数十年が経過したので綴る。現状は変化していると思いたい。
かつて山村に留学して数十年が経過し、そういう田舎体験ビジネスは終わったものだと思っていたが、まだ残っていた。出向いた先には里親のタイプと大勢が入る施設のタイプがあり、施設のタイプは体罰が当然のようにあった。一般家庭ではそこそこの月額を払うが、自分の滞在した家庭は里親夫妻のけんかで食卓はひっくり返る、体験と称して体が休める時間がないほどの手伝いの量。疲労と空腹との戦い。世間で言うところの意識が高い系の保護者は一握りで、ほとんどは事情ありの家庭から来た子供つまり厄介払い的に出された者が多く始終、誰かと誰かが揉めていたし、自分も同じ家庭の里子から物を盗まれたりもしたか。山の上の川辺の秘密基地に里子同士で集まってはろくな大人がいない、と情報共有をしたりもしていた。
何よりも記憶に残っているのは大雨の日に呼び出され両手にごみ袋を持たされたあの日のこと。そして行くぞと向かった先は濁流の川。里親が投げ入れ自分たち里子も命じられそれを川に投げ入れる。罵詈雑言は日常茶飯事で何をしに来たのだろうと誰にも言えぬまま黙っていた。途中で限界が来て帰った子供もいるが大体はホームシックで片づけられる、が、そうではない。人の目の届かないところでのあれこれが酷すぎたからだと自分は思っている。そして自分宛に届いた荷物が自分には知らされていなかったことも後から知った。
素敵な記憶として残ってはいないままではあるけれども、それでも体力はついたし自分で育てることで食べられる野菜は増えたか。田舎社会の両面を見るにはあの経験も無駄ではなかった、なんて言い切れないな。現在は卒業生たちに何かしら売りつけて来ようとしているらしいが、あれから一度も出向いたことはない。里子同士では離れ離れになった後も何度か集まって食事をしたりはしていた。あの場所でなければ出会えなかった人たち。あくまでもあの場所での、あの面々での限られた環境だったのかもしれない。きちんとしているところもあるだろう、そうも思いたい。けれども時間が経過した今でももやもやとした感情はぶら下げたままでいる。数年まえに一時的に里子が行方不明になったとあるニュースが流れていたけれども、釈然としないままぼんやりと記事を見つめていた。実の親子になる場合のアダプトでも容易ではない、ここはもう少し慎重に制度を練り直した方がいいと自分は今も願っている。