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遅れと怯え

遅れと怯え

日本の精神医療は、精神医療だけでなく色々と先進国より二十年は遅れていると言われているけれど、限界集落の病識については昭和の戦後そうだな、個人的には昭和30年代くらいの感覚。と、いうことを町内会のある人と話していてしみじみと思った。何か抱えている人は生きづらい地域ではある、と思う。介護施設などは田舎によくあるが当然ながら医療はそれほど充実してはいない。
またもや町内の加入意思確認は必要と、加入しないの欄も理由を記入する欄も不要でいいと某地域の自治体の話をしたが、面倒なことを言っているとあからさまに表情に出ていたので、やはり無駄だなと早い段階で諦めた。
仕事をしているかしていないかは関係なく自分は日々のこつこつ地味な積み重ねの方を重んじるので、営みという点で出ていない人のこつこつ淡々としている点はとても良いと思っている。さらに表情が変わったので、もうこうなると「今現在ここ」が見れないのかと、あと守秘義務以前に病識がないのと、理解する姿勢が全くない為、人としての関わりがこれはこれで難しいということをしみじみと感じた。

正しく怯えるということができないのはこういう集落でよくある、というかコロナ禍でもメンバーの職場で感染者が出た、と一言も話していないのに家まで訪ねてきて世間話のふりをしながら感染したかどうかまで聞いてこようとしたので最後まで世間話で終わらせながら面倒臭いなあ、と思ったことがある。家に訪れることの方がリスクが高いかもしれない、ということは考えない。家族構成、家族の職場、親戚が何処に住んでいるか、全て把握している。あの船に乗っていた人が地域にいたが想像はつくだろう、追いやられ地域からいなくなってしまった。これが数年前に目にしたあれこれではあるけれど、何者かを把握していなければ気が済まないのかもしれない。

赤xxや中xx派とかありましたしと言われて咄嗟に俯いて何かを堪えたけれど、いや、今も存在している。存在しているけれど何を言っているのかと、とりあえず友人と「いつの時代だよ…ヘルメット作るか…」と眉をひそめつ遣り取りをしていた。

逆に若い世代が自治会を作って意思確認せず「こうあるべき」としたら「同意がない」と若手以上に大騒ぎするのは目に見えている。分断というと少し違うが棲み分けでいいのではないかと思う今日この頃。

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