
産廃企業の説明会で運搬する運転手に対してのアルコール検知器について住人が質問していた後に並行して地域を見つめていたけれど、自分が移住して目を丸くしたのは地域住人たちの飲酒運転だった。これまでの地域でもそういうことはあっても基本的に「隠している」空気感ではあって、酔って運転し側溝に片隣が落ちても警察を呼ぶなとかということは実際にあった。しかしここでは臆さずそのまま言う、堂々たるもので冗談にも聞こえない。地域の食堂で呑んできたと車で店は出ているがアルコールが抜け切る時間は経過していない。それが地域で処理施設の企業にはアルコール検知器をと主張している。滑稽な図だな、と思いつ観察していた。
食堂は食堂で車で訪れているということは分かっているのに運転手にもアルコールを出している。何処ぞの誰かも分からぬ奴の飲酒運転で大切な人が轢かれ亡くしている自分にとっては「ああこれくらいの本当に軽い雰囲気から起きたのか」と、どういう表情をしてよいのか分からず、とりあえず営業日に出向くことはなるべく避けていたし今も本音を言えば避けてはいる。他者の生命を尊重しない人を自分は尊重はしない。
まだ数える程ではあるけれども、限界集落などで孤独を解消するための食堂があり飲酒する人に対しては送迎まで責任を持って営業という場所ができつつあり採算が合うのかは難しいところではあるけれど自分はいい取り組みだと思っていて、ただこの地域ではその逆。全くの逆方向で当然のように飲酒運転が黙認されている。飲酒運転の人に対してやんわりと伝えもしたし、誰もそれについては何も言えない。そう「だって田舎だから」と返されるのかも知れないが、それについてはどうなのかとある人に訊ねても知らぬ存ぜぬで一応は市の職員や県の職員なども住んではいて、知らないはずがない。嫌いになりたくはないが嫌われてもいい覚悟では書いている。人それぞれというがこの辺りに全体主義のような独特な居心地の悪さがあるのだな。
過去に通報はしたが、ある地域で大麻が出回っていて、それを売り捌いていたのが子を持つ親だった。元友人もいた。そして子供は知っていて誰にも打ち明けられず黙っていたりする。親のしていることが犯罪であると分かってはいて不安と恐怖でいっぱいだったろうと想像がつく。そしてその子供の相談を聞く周囲の大人も波風を立てたくなさから黙認しているので何も解決せぬままだった。結果として大人も完全でないと反面教師になればいい、いいわけでもないが「これが普通」と育ってしまう場合もある。祖父母世代から親世代も同じように真似をして子世代までそれを真似る。
企業どうこうではなく地域の飲酒運転をしている成人が誰かの家族を轢いてしまったらいったいどうするのだろうか。自分たちができていないことを相手にやれというのも無理筋だろう。それでも「だって田舎だから」と言ってしまえるのだろうか。