
三十年は言い続けているこの自他境界と合意形成。任意と強制の差。
学校の某組織も地域の自治会もそれがなく、ここ五年くらいでやっと全国各地でもSNS上でも声が上がってきた。
今は義務でも強制でもないと認知されつつあるけれど、過去に地域住人を自死に至らしめたニュースが流れていて「ほら、こういうことが起きてしまうのだよ」と眉をひそめたことを今でもよく覚えている。ここを読んでいる方はあの反省文を書かせた一件を覚えているだろうか。
身体にせよ精神にせよ病を抱えている人は少なからずいて、参加しない場合はカムアウトしなければならない恐ろしさがある。カムアウトさせることは違法でもある。
学校の某組織で自分が役員をした際も隠しながら必死に作業をしている人がいて「具合が良くないのでしたら自分一人でできますから」と声をかけて初めて「実は」と自身が抱えている病について打ち明けてくれた。だから意思確認は必要であると学校と地域のどちらの組織にも訴えかけたことはあり「加入意思確認書」で同意を得るべきだとはっきりと役員会で申し立てた。その紙に「加入しない」の項目は必要なく、あくまで自発的に加入する人のみ提出でよい、と。そうすると参加しない人が増えて立ち行かなくなると意見が出て「よく分かってらっしゃる」と思わず笑ってしまった。そもそも力技でがんじがらめにしないと機能しない組織だということを誰しも分かっているのだろう。
身体ならば「まだ」考慮されやすい、精神疾患であったり発達系の何かを抱えている人にまだこの国は理解が乏しい。
近隣の週末だけ来る高齢者がある人に対して「発達障害は気狂いだ」と吐き捨てていたがあまりの発言に呆然としつつ、やはり教育に道徳ではなく倫理が必要だなと改めて感じ、これは都会田舎関係なく地域社会に横たわっている問題ではあるなと。助け合いと馴れ合いの差も理解していない場面は田舎ではよく見かける。
自分の世代でぎりぎりではあるけれどそれ以上の年齢になればネットリテラシーもなく、他人を勝手にSNSに載せたりもする。教育課程で習う機会がなかったことや日本の教育そのものが遅れていることも原因だが今だに子の写真を掲載している親も多いので他人ならなおさらだろうな、と、バウンダリーのバさえも学んでいない。これが田舎の地域社会になると仕事や出身地まで根掘り葉掘り聞いて次の日には地域全体が知っている、ということは常でそれは通常の社会でやったならばストーカーとして成立するということを理解していない。自分も一時期は家から出たくない程に根掘り葉掘り聞かれてうんざりとしていた。他人に病をカムアウトさせるなど論外だと思っている。
ここに移住するまではそこそこ市街地で住んでいたが、自治会費が家賃に含まれていることに首を傾げつつ、それ以上に出ない場合は数千円の罰金があり軽く目眩がした。名もなき団体で何故に罰金というものが発生するのかとうんざりしていながらも出ていたが、そこそこの住人がいるはずの地域だというのに集まりに出ているのは数人。つまり「罰金を取られてもいいから出ない」が大多数で当然ながら数人は高齢者で若い世代は一人も出ているのを見たことはなかった。そういう背景もあり全国各地で訴訟が起きている。訴訟されたら団体が確実に負けるのだが、そういうことさえ面倒で逃げ道としてデュアルライフで都会では参加はするけれど田舎では参加しないという若い世代もよく見かける。主張しても無駄だと初めから割り切って距離を置いているといった具合。
もう一つの問題点は信教の自由。町内の活動で神社もしくは寺の墓地の清掃などがある。祭り事も含まれていたりもする。教会などは見たことはないか。その信教の自由も無視して地域住人に参加させようとする。そして自分は無宗教ではあるけれども何を信仰しているかをカムアウトさせることも違法ではあるのでそこについても提言したことがある。
町内会費も厄介で社会福祉協議会の賛助金や赤い羽根など抱き合わせで徴収してくる地域も多い。金額や助け合いの意思の有無の問題ではなく仕組みがおかしいのだと言いたいのだが、この地域でも徴収に来てとりあえずは説明をした後に払ったが確認をしますと言ったきり何の音沙汰もない。表情を見る限り、こちらが説明していることも理解できていない様子ではあった。義務の皮を被った搾取であるという感覚が、ない。
ただその反面、若い世代だけで自治会を作って自由参加でという形にしたら自発的に参加する人が殆どだったという地域もあり、自分も同じく個々の自由意志決定の中に自主性や自発性が生まれるのだとも感じている。残念ながらそういう地域に出会ったことはない。できたとしたら模範的な地域になるのだろうけれど現在の感触では難しいというより可能性はないだろう。だから移住者が増えたら独自に自治会を作ろうとは思案している。若い世代も無関心なわけではなく助け合いや協力する姿勢は持ち合わせているのである。
昔ならば村八分などがあり意思確認どころではなかっただろうが、今のインターネット世代は地域と繋がらずとも全国、いや世界の何処とでも繋がれる。物理的な囲い込みさえなければ村八分にされていることすら気づかない。ここで溝が生じたら修復は困難だと予想もできるし、自分も返答があるまでは何もしないと決めている。
自他境界と合意形成、民主主義は何処へやら。