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かつて置き去られたものもの

かつて置き去られたものもの

縁があれば使おうと壊された建物から二十年以上こつこつと集めてきたものたち。ドアや床材や壁材、解体で捨てられないようあらゆるものをトラックに積み込み倉庫へ保管してきた。何処で使うか転々と共に移動してきたけれど、反省しても後悔しないと決めて進んできて、ここだろうかどうだろうかと様子見しながら自分たちの足元をすこしずつ固めている。多種多様なことに関わってきたけれどふらふらしているのだろうかと自問自答しているところへ友人が「長く見てきたけれど目指している方向は変わっていない」と呟き「そうか」と苦笑いし吹っ切れたことがあったな、とか。

今の場所でもすぐに蔵から出てくる古い本や何かの名残や住人の話など、先ずはどうやって形づくられた場所か詰め込めるだけの知識は詰め込んだ。そして迷いながら知らない獣道を右往左往しつつ誰かが歩いて来られるよう藪を切って見えない道を作っているところ。一つ一つが何処から出てきたものか今でも覚えているが、この自分の記憶とかつての持ち主の記憶を呼吸する活きた場所へと繋いでゆく。

日本はあるものを使う、使えるものは直して使うという文化があまりない。いや、ほとんどない。打ち上げ花火のようにあたらしい何かに食らいつき市場で消費し市場に消費され都心部でも有形文化財さえ壊してしまう。それはそれで自然な時代の移り変わりだろうな。自分はもうすこしだけ抗っていたい。

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