逃げ出して梁や柱の上の方に作られていた繭たち。ざっと数百個はあり梁や柱もうっすら絹に包まれていた。一箇所にまとめて土に還してきた。こういう建物の何かしらの名残が好きだったりする。今も周辺も桑畑があり、当時の風景を思い描きながら本日も作業。